11/100 参議篁「わたの原八十島かけて…」の本歌取り

<本歌取り>

たからもの 片手袋を探す海 人には告げよ天のつりふね

<元の歌>

わたの原 八十島かけて漕ぎでぬと 人には告げよ天のつりふね

 

引き続き震災の歌です。あの頃言葉にならなかった思いが少しずつ口にでるようになっています。東京にいたので私は大した被害がありませんでしたが、母の郷里は小名浜です。すぐ近くまで海が押し寄せてきて、様々なものを流していきました。

あるかどうか分からない、見つかったら何かを達成するシンボルとしての片手袋を海べりで探します。その行為はほとんど祈りです。見つかってほしい、あるはずだと手袋を探します。天の釣り船が持っているはず、漕いでいる舟と見つからない片手袋。もしかしたら天にあるかもしれない、この世に有り得ないものかもしれません。なくても探す、あり得るはずと探す、この世になくても探す。密やかで小さな祈りです。祈るのに集団でなにかの教義に従う必要はありません。一人きりで自分のやり方で祈ることはできます。心が少しでも落ち着くのであれば、どのような祈りであっても良いはずです。

時間はおよその事柄を解決してくれますが、負った傷を完全に忘れさせるような効果があるかどうかはわかりません。生きていて安全に暮らし続けることの困難を最近嫌と言うほど感じます。災害は常のように起き、歯車が一つでも狂えば、この世を制御できません。

たからものでなければ代わりを買うのでしょうが、物にはその人の命やお話、思いといった記憶や人為が結びつきます。人から見て必要のない、私のたからものは山のようにあります。

 

 

 

 

10.「これやこの行くも帰るも別れては…」の本歌取り

<本歌取り>

これやこの想像ラジオのジングルは 知るも知らぬも大阪の関

<もとの歌>

これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも大阪の関

 

いとうせいこうの「想像ラジオ」を読んだことのある人は、皆それぞれの「想像ラジオ」のジングルがあるかと思います。薄々感づいていた結末に向かって話は進みます。DJアークの声はどんなでしょうか。

いとうせいこうに割と感化された半生だったと思います。ラップも聴いたし、雑誌も読んだし、何より本はよく読みました。「セケン・ムナサンヨー」という、英訳された世間胸算用を和訳し直した、といった複雑な経緯の本を詠みました。今もベランダ園芸をして、仏像を見に行き、古い時代のラップを聞き直したりしています。高校生の自分にとって知的に生きるのはとても楽しいことでした。今も断続的に続いています。

蝉丸の「行く」「帰る」「別れる」「知る」「知らない」は今も普通に使われている日本語です。それぞれが「会う」に結実します。自分にしか聞こえないジングルは自分しか知りません。誰かのジングルは全然別の声です。それがどこかで会うときがあるでしょうか。字面の対比が効果的に使われていて、現在も通じる普遍性があります。山ほどいる、すれ違うしか無い相手も厳密には「会って」「別れて」いる。

私達はどこかに行き、帰り、知り、知らず、別れ、会う。故人の蝉丸にもこうして会って、自分の考えを伝えている。

ラジオには多くの死者が出てきます。もう会えない人たち、いとうせいこうの言葉によって生み出された人たち、それを読むことで会っている。「会えない」と言わなかった蝉丸の気遣いに感謝します。

今の短歌の基準だと、動詞を多用すると風景がぼやけるので使うべきではないとされていますが、この歌がこの歌として成立しているのは、動詞の多用とその動詞の普遍性です。もう使われていない言葉がここに一つでもあれば、この歌の響きはそれほどなかったでしょう。

 

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想像ラジオ

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セケン・ムナサンヨー

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9.「花の色は移りにけりな…」の本歌取り

<本歌取り>

抜け感がくすみはじめて春来たる我が身世にふる眺めせしまに

 

<元の歌>

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふる眺めせしまに

 

百人一首の中でも好きな歌です。音読したときの響きがとてもよい。「な」の音のフルフルするような音の感じ、濁点があまりないのも心地よさを引き立てています。テーマは、年をとっていくことを嘆く少しさびしいものですが、今も昔も変わりません。

元の歌の魔力に抗えず、結果的に似たテーマとなりました。誰でもくすんでいきます。男女もなく。外出が好きなので日差しに顔が負けていきます。

 

冬が終われば春は来ます。どうしても春は浮かれてしまいます。その中でも、鏡を見ながら、増え続けるしみや、たるむ体にげんなりします。新入社員が入り、初々しいやり取りを目にします。自分は何年前だったっけ、と思います。色々な出来事は春に始まります。今の会社に入って十年目、来年の春には一昔を迎えることになります。桜の季節はあっという間に咲き誇り、あっという間に消えます。一年の始まりとしての春はいつでも好きです。本歌取りを始めて、小野小町で春を見ます。

小野小町が有名人であり続けているのって、不思議なんですよね。時代が下っていっても、小野小町を題材にした作品が出ています。

これまでの人生でここまで古典にふれることはありませんでした。特に難しいものではないんだなと気が付きました。多少のルールを知っていれば古典をそのまま読めます。漢文も読めます。

古典に書かれていないことは無い、と思うと、古典を学ぶ理由付けになります。ようやっと教養が身につき始めました。

 

8.「我が庵は都のたつみ…」喜撰法師の本歌取り

<本歌取り>

ニュース見ず皆既月食気付く夜 世をうじ山とひとは言ふなり

<元の歌>

我が庵は都のたつみしかぞすむ 世をうじ山とひとは言ふなり

 

前回の短歌と同じように今回も月が出てきました。何も知らないまま、月食を見てしまったという驚きはいつか起きるのか。一年におおよそ一度月食はあるそうですが、何も知らずにその日を迎えることはできるのか。気がついたら私は自分をうじ山と名乗ろうと思います。

天体の驚きは古今東西、文学や科学などで重要なモチーフ、テーマとして扱われてきました。日食、月食、流星を科学として捉える、文学として捉える、社会学として、数学として、とあらゆる学問は派生していきます。要素の分解、分析、解釈の仕方が学問によって異なります。絵画、音楽、文学、数式、天文図、小説、ルポルタージュ、祈りなど。

私達は起きた物事の解釈がほしいのです。起きたことをどう捉えればいいのか、日食や月食の解釈をする生き物です。その手前であらゆる理解から離れた、自分との対話が必要になります。持っている知識と照合して、月蝕についてぎこちなく自分の理解をする必要があります。まず、考えます。流れるようなスピードの誤解(SNSによくあるもの)をいったん遮断し、本質的なことが何かを考えます。そうしないとスピードの奔流で見失います。安易な解釈に耳を貸さずに、自分で考えるクセをつけなさい。と上司によく言われます。

事実を見て、解釈をして、行動する。人が人であることの本質は何も変わってはいません。

7.「天の原ふりさけ見れば春日なる…」阿倍仲麻呂の本歌取り

本歌取り

働き者の総理は空など見上げない 三笠の山に出でし月かも

 

元の歌

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも

 

 

働くことについて、ここ数年でようやく冷静になってきました。欲をかいて名乗りを上げるようなこともだいぶ減っています。会社全体の仕事の中で、自分の持分はそれほど多くありません。周りにもたくさん人がいるのもあって、何かを重たく持つのもやめました。今は面倒なことはAIにある程度任せたりすることで賄えています。家でも無理はせず頼れるものは頼る。20年くらい前は終電前まで働いたりと、色々と無理をしましたが、ずいぶん非効率に働いてきました。本質的にしなくてよいことをして、用事がないのに無駄に人と関わって、余計な時間を取らせたと思います。だいぶ黒っぽい仕事の仕方で、コンピュータについて深く知ることができましたが、本当に大変でした。

私を引き合いにして総理大臣の話をするのが良いかわかりませんが、何事も人に任せられないのは、それほど仕事ができないのでは、と思ったりします。大企業の社長は甲斐甲斐しく料理を作ることも、掃除機をかけることもないでしょう。自分がフォーカスする仕事を都度考え、ほかは全て降ってしまう。体力を養うのも大事な仕事だと思います。体力にせよ金銭的にせよ、貧すれば鈍ずる。徹夜をした翌日の何もできない感じ、使い物にならない感じ、当の本人はきっと毎日感じているのではないでしょうか。そんな状態の人をどうやって信頼すればいいのでしょうか。何かを託すべきでしょうか。

 

百人一首を何周も繰り返し読み続けています。かんたんな解説込で一つ10分、それほど時間もかからずに一通りを読めると思います。花鳥風月と恋とに生きる豊かな人間が100人もいます。三笠山であっても、ビルの隙間であっても月はその時の気持ちを反射してくれます。デジタルに月を表現しても、本物の魅力には勝てません。

しばらくは月は軌道を守り続けます。後に生きる人でも同じような心持ちにしてくれるはずです。我々が世界で築いている文明はいつかまた滅びます。それほどに儚いものです。変わらない、変わりようのないもの、それをじっと見つめる豊かな時間を少しでも持ちたいですね。

 

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Redditに投稿できない

英語は鍛錬の末にだいぶ読み書きできています。趣味でRedditにスマホゲームの書き込みをしていますが、最近投稿時にreviewに回すといって投稿が出来なくなってます。変なリンクを含んでいるからだめ、と。画像2枚をアプリから投稿しただけなのに…。

 

Pirates outlawsというローグライクなゲームでarena100をクリアできました。前だったら単に投稿できただけなのに。画像の日本語が分からないからダメなのかもしれません。

 

出来なくてもまあ残念なだけで仕方ないな、で終わるけれど、書き込み出来ないのは困ります。

 

でも、これ、凄いっすよ。国内で何人いるかしら?

 

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6.「かささぎの渡せる橋に…」の本歌取り、欲について

<本歌取り>

歌詠みの熟考中のメモ帳の白きを見れば夜ぞ更けにける

 

<元の歌>

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける

 

取扱説明書やマニュアルといった文章を書く仕事を続けていました。今も業務マニュアルは山のように書きます。真っ白の原稿に向かえることもあれば、既存のマニュアルを改版することもあります。今これを書いているように真っ白の原稿を書くことはほとんどなく、改版をすることがほとんどでした。既存の理屈を破綻させないように改版をするのは疲れます。

歌を詠むときはスマホのメモ帳を使っています。自分の考えている経過を残すようなことはしていません。ものによっては10回以上書き換えても納得いかない場合があります。収まりがその時良くても、見返して書き直すことはままあります。自分が書いたものに責任を取れるような言葉を書かないととは思います。読んで良かったと思うようなものを書いているつもりです。

本歌取りは基本的には改版です。下の句は固定で元の歌もあるので、ゼロから何かを詠むといったことからはだいぶ外れています。元の歌の思いに自分の気持ちをかぶせていきます。

そんなことをしつつ、欲について考えました。ただの素人が書いた歌などきっと忘れ去られます。原稿料をもらっている訳でもないので、時間ばかりかかって割とストレスの溜まる趣味です。名声を得ることもないでしょう。ただ、細木数子のような尽きせぬ欲は歌を詠むときにはあります。とはいえ、地獄に落ちてしまうような人の道を外れるような欲ではありません。それだと名前は為せないんだろうなと思います。

それでも何かの欲があるから必死で書いています。悟れば無欲になれるのか、新しい欲がでるのか、欲について無頓着だった自分がいます。「欲」の観点から物事を捉えると何事も面白いです。

他人が介在しない、見返りを求めない、自分、自分を繰り返す欲にまみれているのって、傍から見ると怖いですね。坊さんの話か落語でも聞いてこようかしら。

 

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