おじいさんの崩壊

パクったり、常識を超える引用しないでね。
 

「猫の手」を売っている店の隣に交番がある。警官が、机に向かってかりかりと書類をつけていた。人のほとんどいないシーズンオフの観光地は、寂しさとけだるさと居心地の悪さが一緒になった、なんだかやりきれない空気で、人の往来もほとんどない。車もほとんど走っておらず、事件らしい事件も起きそうには無かった。警官は書類を書き終えてパンチで穴を開けた。紐を通して書類をファイリングした。警官はじっと向かい側の書店を見つめていた。そして、一つ大きなあくびをした。地球の酸素全てを自分のものにしようとするほどの大きなあくびだった。

 パソコンの電源を入れ、起動するまでを、ぼんやりと待っていた。起動しても特にやることはなかった。オークションサイトをぼんやりと眺めていた。世の中には、こんなに買った自分とはつりあわない物がある。邪魔で処分したいものがあふれている。そしてそれが身の丈にあったものだと感じて買い取る人もいる。もしもこれを実世界で行うとしたらどうなるのか、東京ドームいくつ分だろうかと、暇に任せた妄想を警官は辿っていた。
 支給されている自分の銃をオークションで売ったらいくらになるだろうと考えたとき、電話は鳴った。
 「もしもし」と答えた。
 息切れというよりも何かに苦しんでいるような、そんな息遣いしか聞こえてこなかった。
 「もしもし」と、警官は再び言った。
 息遣いは更に荒くなった。ぜいぜいという息遣いの切れ間に、何かを言っているのだが、聞き取れなかった。
 「もしもし、どうしましたか?」と警官は言った。
 「…くれ」と声の主は言った。息切れは徐々に元に戻りつつあるようで、それが老人の声であることがようやく分かった。
 「もしもし、どなたですか?」と警官は言った。面倒に巻き込まれるな、といった予感がした。
 「私を、捕まえてくれ」と声の主はせわしない呼吸の狭間で、はっきりと言った。
 「どこにいらっしゃるんですか?」と警官は言った。
 「丸岡町41-22と書いてある。早く捕まえてくれ」と声の主は断定形ではっきりと言った。
 そこを動かないようにとだけ言って電話を切り、警官は自転車に飛び乗った。無線で応援を要請しながら、必死に自転車をこいだ。
 
 風景が今までにないスピードで飛び去っていく。指定された住所までたどり着くのに、警官は5分とかからなかった。
 たどり着くと厳しい顔をした80歳ほどの老人が立っていた。きちんとした灰色のジャケットと黒いスラックスで、白いワイシャツにもアイロンがかけられているのがはっきりと分かった。少ない髪も後ろに撫で付けられていた。薬指の指輪がきらきらと光る手の甲の血管が、はっきりと浮き出ていた。脇腹を押さえながら若干辛そうに立っていた。
 警官は「電話をしたのはあなたですか?」と聞いた。
 老人は、「そうだ」と答えた。
 「何があったんですか」
 「私は人を、たった今、殺したんだ」
 老人が、はっきりと、言った。警官を見つめる鬼のような視線が、苦痛に歪んでいた。
 警官は老人に凝視されながら、あたりを見渡すが、何も起こってはいないようだ。どこの家にも何の異変も見当たらなかった。
 警官は老人の凝視に必死に耐えていた。苦痛と自戒に満ちた般若のような顔だった。
 老人は表情を変えずに視線を上にそらした。警官も視線の先を追った。しかし、瓦屋根ばかりで何も意味を見出すことは出来なかった。二階建ての瓦屋根が地平線を形作るほどに、どこまでもどこまでもひたすらに広がっていた。
 老人の視線の移動は続いた。目が泳ぐというのではなく、何か明確な意図で移動しているということが感じられた。老人の視線が彼の足元を見つめていた時、「竹中さん!どうしたんですか!」と言う大声が瓦屋根に反響した。二つわけの三つ編みで、エプロンをした太った女が警官と老人のもとに走りよってきた。
 警官が「通報があったものですから」と言った。とても間抜けに聞こえた。
 「ちょっと痴呆があるんです。ですので、多分、何もないです。さあ、竹中さん、帰りましょう。今日はお風呂の日ですよね。お風呂気持ちいいですよ」と女が言った。彼女は老人ホームで働くヘルパーだということが分かった。丁寧語を使いながら老人を自分のいいように扱う感じを受ける慇懃なものの言い方だった。老人の手を綱引きのように引っ張っているが、老人は全く動こうとしない。
 「ここはどこだ?」と老人は呟いた。
 「ほら、警察の方に迷惑じゃないですか。早く行きましょう、老人ホーム帰りましょう」と女は言った。
 警官は、職業的観点から、老人に質問をした。
 「ここは丸岡町41-22です。あなたは誰を殺したんですか」
 老人ははっとした様子で答えた。
 「私は丸岡町にいる。いや、ここは満州だろう。満州だろう」
 ヘルパーが間に割って入った。
 「本当になんでもないんで、大丈夫です。ちょっとぼけてきちゃってるんですよ」
 と言いながら手を掴んで引っ張っていた。しかし老人はびくともしなかった。しばらく面倒くさい押し問答が続いた。
 老人とヘルパーの綱引きを見かねて、警官は、ヘルパーに言った。
 「すいませんが、ちょっとの間、よろしいですか?嫌疑が晴れた訳ではないので」
 ヘルパーは「嫌疑」と言う言葉に敏感に反応したようで、「わ、わかりました」と妙に慌てた様子で手を引っ張るのをやめた。
 「ここは日本の丸岡町です。あなたは、誰を殺したんですか?」
 「私が殺したのは、誰だ?満州じゃないのかここは。何故ここは満州ではないんだ。戦争は終わっているんだ。日本は連合国に敗れたんだ。世界を敵に回した最前線に私はいた。満州に私はいるんだ」
 老人が支離滅裂に「満州」、「戦争」、「殺した」を繰り返し始めた。重たい足取りで、ゆっくりと一歩一歩警官に近づいてきた。苦痛に歪んだ表情は変わらないが、老人の視線が虚ろになりつつあった。どこかを見てはいるのだが、焦点がまるで合っていない。何かを睨んでいるのだが、それが何か警官には全く分からなかった。
 ヘルパーが再び割って入った。「ちょっとぼけちゃっているんで」と老人の話を無理やり遮るように言った。警官はヘルパーに「黙っていてください」と言った。
 老人は警官に、「今はいつだ?何年だ」と尋ねた。
 「平成17年、2005年、第二次世界大戦大東亜戦争が終わって60年が経ちます」と答えた。
 老人は、「そうか。そんなに経ってしまったのか」と、ぽつりと言った。小さな溜め息をつき、そして深い息を吸い込んだ。とても痴呆とは思えないほどのしっかりとした受け答えだった。
 老人は滔滔と語りだした。その流れは潮の満ち引きよりも力強く、口調は明快ではっきりとしていた。荒かった呼吸も、だいぶ取り戻していた。
 「私はその時二十歳だった。右も左も分からないような、今の若者よりもよっぽどだらしない若者だった。戦争が起きたと言うこともろくろく分からず、ただ新聞の口調が怖くなっていったのは覚えている。そうこうしているうちに赤紙がやってきた。父は既に死んでいて、母と二人暮しだった。他に知り合いもろくろくいないし、私と母とは、何とか暮らすのでやっとだった。日雇いの仕事と盗みで何とか食べていけた。母は、赤紙が来た途端、わっと泣いた。『お前も死ぬんだね』と言った。私は国家的な自殺に加わることになった。私は、人を殺さなくてはならないのだと言うことが分かった。それが昭和18年の年末のことだった。町には老人しかいなくなった。子供達は皆どこかの田舎に疎開していた。若い男は皆連れて行かれた。私にもその順番がやってきたのかと小さな溜め息をついた。本当に小さな溜め息だったんだが、母は見ていた。そして、『お前は人を殺すんじゃないよ。そんなつもりでお前を育てた覚えはない』と涙をぼろぼろこぼしながら言った。私は、『銃は全部宙に向けて撃つ』と母に約束した。それだけは守れた。
 それから先は順番が分からない。満員の船の中にいたことや、ひどい空腹で変な草を食べたこと、順番が消えて一度に私にやってくる。お前は今一瞬だけ生きているのか?」
 老人が警官に聞いた。それは切実な質問だった。警官は、「いいえ」と答えた。
 老人は満足した様子で話を続けた。ヘルパーのつけているエプロンが風にひらひらと揺れていた。ヘルパーはそっぽを向きながらガムを噛んでいた。警官はヘルパーを睨みつけた。それはとても当然のことのように思えた。
 「色々なことがいっぺんに起きた。私はその時間を生きた。そして今も生きている。私は頭の中に染み付いた記憶を消すことは出来ない。私は人を殺したんだ。その瞬間を抱えながら、60年が経った。私は銃を全て空に向けて撃った。母の言いつけ通りにした。出兵間際、電車に乗るときに、母が、『生きて帰って来るんだよ。誰も殺すんじゃないよ』と叫んだ。駅にいた人が全員母に注目した。電車は進んでいった。母は私を走って追いかけてきた。それを憲兵が追いかけていた。目の端で母は憲兵に取り押さえられたようだった。警棒で殴られているのを電車から見たのが最後だった。
 私はその憲兵を憎んだ。そして私は人を殺した私自身も憎んだ。現在も憎んでいる。おめおめとこんな年まで良く生きていたと自分でもぞっとする。母は警棒で頭を殴られ、取り押さえられ、牢屋に入れられたと言うことまでは分かった。それ以降の所在が分からないまま、私は一人きりで生きていた。何度も探したが、結局見つからなかった。体がぐちゃぐちゃになってしまうくらいに探した。多分どこかで死んだのだろうということは、おぼろげに分かっている。その後私は結婚もし、子供も出来、傍から見れば幸せそうな家庭が出来ていた。だが、私は一人きりだった。夢の中を歩いているような気分になった。
 それは何かのポーズだったのかもしれない。私は何もかもを忘れるために働いた。そして、何もかもを忘れるために幸せに振舞った。いつの間にか老人ホームに入れられ、余生と言われる無駄な時間を淡々と過ごしている。半ば死んだものだ。
 だが私は母が憲兵に殴られた今をどう取り返せばよい。私はこの記憶箱、脳味噌なんていう忌々しいものに縛り付けられながら、生きながら死んでいる。死にながら生きている。
 満州で死んでいれば良かったんだ。私は、銃剣で人を刺した。何の感触も無かった。誰の命令でもなかった。殺した人間は中国人の兵隊だった。太った男だった。鉢合わせになって、相手が剣を取り出した。私は殺されることが怖かった。構えていた銃剣で威嚇するだけだった。ちょっと脅かして、相手が驚いて逃げ出せばそれでことは済んだはずだった。だが、彼は私のほうへ飛び込んできた。吸い寄せられるように飛び込んできた。私は構えていた銃剣を引っ込めようとした。しかし間に合わなかった。間に合わなかった。」
 老人の眉間に皺がよった。深い皺の谷底から、老人の話は続いた。
 「私はその瞬間を生きたし、今もその瞬間を生きている。太った男だった。つやつやと丸い、いい顔だった。その男に、銃剣が、ちょうど、みぞおちに…。」
 老人の頭の中では、過去が暴走を始めたようだ。現在を飲み込みながら、過去がいっぺんに老人に降りかかっていた。過去はその位置づけを明確に定義した。老人の口は、もはや老人の口ではなかった。巨大な何かを代表して喋っていると感じた。
 「お前の影は過去じゃないのか?だとしたら何だ?お前の影は何を背負ってるんだ?お前の影は過去じゃないのか?じっと自分をを見つめながら、死ぬまで付いてくる。お前の影は過去だろう。後ろからじっと見つめられながら、俺は平気じゃいられなくなった。俺は俺のしたことを全て影にして歩いている。だから警官さんのよりも暗い影をしているんだ。俺は影が怖くて怖くて仕方がないんだ」 老人は涙を流しながら続けた。警官は何も出来ず立ちすくんでいた。
 「時効かそうじゃないかは、私自身の問題なんだ。私は戦犯として殺されるべきなんだ。今の日本では私のような人間を処罰できないのか。私の罪を洗い流してくれる罰は今の日本にはないのか?私には罰はないのか?警官さん、あなたは私を逮捕することで私が中国で行った罪の一端を清めてはくれないのか?私の悪夢を消してくれないのか?私が何にも知らない子供のままで中国に行って、そこで人がたくさん死ぬのをこの目で見たんだ。船に乗せられて、帰ってこれたのは僥倖だった。死体は珍しいものじゃなかった。そこかしこでいろんな人が死んでいた。私は、自分の身を守ると言った大義名分のために、人を殺した。返り血を浴びた。何とか助けようとしたが、そんな馬鹿な真似はやめろと上官に言われた。私は母に言われたんだと言った。人を殺すんじゃないと言われたと上官に叫んだ。上官は、『ここは戦場なんだ』と呟いた。その呟きを、私はしっかり聞いた。今でも耳元で言っている。『ここは戦場なんだ』
 殺人が何人だったかなんて問題にならない。私は殺したんだ。私は人を殺して、その罰を受けるべきなんだ。日本は今戦前だろう。平成17年は戦前だろう。警官さんも憲兵になって、『生きて帰って来い』と言った人を捕まえて牢獄に閉じ込めたり、警棒でひっぱたく役目を負うんだろう。それかミサイルの発射ボタンを押すんだろう。ミサイルは発射されて何千人も木端微塵になってしまうんだろう。木端微塵になった肉を犬がばりばりと食べるんだろう。骨と皮しかないひょろひょろの兵隊が山を登るんだろう。誰も喜ばない世界が、もう目の前に来ているんだろう。平和なんて嘘っぱちで、戦間期でしかなかったんだ。私は、そうなる前に罰を受けるべきなんだ」
 老人は、そこまで言って、固まった。瞳は開いているだけで、何も見ていなかった。老人の周りの時間が止まってしまったようだった。
 警官は、手錠に手をかけた。ケースから取り出し、その冷たい感触を人差し指で確かめた。
 唐突にヘルパーが、老人の頭をパンとはたいた。まるで漫才でもしていたかのようなはたき方だった。後ろに撫で付けられていた頭が、左に乱れた。
 「おじさん、怖い顔してどうしたの?」
 老人が子供のような声で目を丸くしながら言った。
 「最近調子が悪いんですよ。おまわりさん、気にしないで下さいね。何かテレビみたいですよねこんなのって」
 とヘルパーがこともなげに言った。警官は、丸くなった目が戻らなかった。
 「すいません。もうよろしいでしょうか?」
 とヘルパーは言った。警官は、ただうなずくことしか出来なかった。

Dr.Grip 4色ボールペン - 呪いのかかったボールペンをこえた何か

お題「愛用しているもの」

 

お客さんとの打ち合わせに、どんなスタイルで文房具を持っていくか、少ないサンプルですが調査しました。だいたい以下のような割合です。

A.ペンケース+数本のペン=6~7割

B.小型ペンケース+2~3本のペン=1割

C.ペン1本をカバンかスーツから取り出す=2割

 

私の仕事上のバイブルである、「Business Manner Passport」という本には、なぜかこの記載がごっそり抜けています。これでは、誰にも確かめられないじゃないか。あるいは、ここではビジネスマナーの中には、打ち合わせ時のペン問題についてはビジネスマナーからは省かれているのか……。

 

創育社 | ビジネスマナーパスポート

 

と、関係ないことをつらっと書きましたが、ここ8年くらい、ボールペンは表題の呪いのボールペンを使っています。

細かくは知りませんが、Dr.Gripはとにかくきれいに字がかけて嬉しいです。ほかのを使うと名前を書くのもためらわれる時がある。

そして何かで聞いた「Style Fit」をボールペンの替え芯にすると、書き心地がやばい!

 

VBA格納庫

Sub 表まとめ()

Dim i As Integer
Dim j As Integer
Dim cnt As Integer
Dim Str As String
Dim Tmp As String


For i = 2 To 100
cnt = 2
Str = Cells(i, 1).Value
' Debug.Print Cells(i, 1).Value
Sheet2.Cells(i, 1) = Cells(i, 1).Value
Str = ""
If Cells(i, 1).Value = "" Then
Exit For
End If

For j = 2 To 100
If Cells(i, j).Value = "-" Then
' Debug.Print Cells(1, j).Value
Sheet2.Cells(i, cnt) = Cells(1, j).Value
cnt = cnt + 1

Else
If Cells(i, j).Value = "" Then
Exit For
Else
End If

End If
Next
Next


End Sub

TOEIC760点と工業英検2級合格までのTips

少し前の話になりますが、TOEIC760点、工業英検2級を3か月の勉強で取得しました。

そこまでの道のりを振り返ってみようと思います。

 

TOEICとは

www.iibc-global.org

 

英語を学習する人が一度は受ける地獄の耐久チキンレースですね。毎回の風物詩として、残り1分くらいに「B」で最後の列を塗りつぶす人も多いのではないでしょうか。

 

工業英検とは?

jstc.jp

 

工業(IT、電気、バイオなど)の和訳、英訳の翻訳知識を問う試験です。2級になると、辞書の持ち込みが2冊できるようになります。参考書の少なさとその質の低さに定評があり、勉強の進め方に困ること必至の試験です。

それほどメジャーな試験ではないので、あまり取る必要はないかもしれません。企業でもこれを見てたのか分かりませんし。私は、過去2回、2級に落ちてしまったので、いきががり上、取得することにしました。120/200点以上で合格になります。また、工業英語の実務経験者という肩書を手に入れることはできます。

 

どのくらい英語できるのか?

リーディング 

→ 辞書があればペーパーバックは理解可能。

→ 英語の取説も辞書があれば100%理解可能。

 

ライティング

→ 参考するものがあれば、一通りライティングはできる。

  → ただし、細かい尊敬語などのニュアンスは無理。

  → IT、技術系の話、一般英語はできるが、それ以外の分野は苦手。

 

リスニング

→ TOEICに出てくる程度であればほぼ。

→ 外国人旅行客が言っていることは理解できる。

→ TEDのプレゼンは画面を見ながら理解できる。

→ NHKラジオのポッドキャストは難しい。

 

スピーキング

→ レアジョブ英会話は Lv 5。

→ 旅行英語に毛が生えたくらいはできるが、それ以上は無理。

 

仕事

取説のライター/翻訳者をしていました。なかなか大変な仕事なので、別の業界で働きたいと思い、とりあえず英語力の証明をしておこうかと。日常的に英語に触れて数年。ただし、何も証明できるものがない。そこでTOEICを取得しようと思い立ちました。

やっぱりTOEICは魅力のあるデファクトの試験ですね。企業はそれしか見てないんじゃ?工業英検が要件である会社はみたことがありません(一応、履歴書や職務経歴書に箔をつけることはできると思いますが)。

 

教材

極力絞りました。無駄に教材にお金を払うのも嫌だったし、散漫になりそうだったので。

 

TOEIC

・公式問題集、アルクの問題集 (トータル1,200問):6000円

・DUO3.0 CDと本:4000円

 

工業英検

・過去問(協会のホームページからダウンロードできるもの)とりあえず全て:無料

・過去2回では、問題集と試験対策集を買って学習しました:4000円

 

勉強法

TOEIC

電車でDUOを聞きながら3か月。わからない単語にマーカーを引いて、繰り返しを3回。

また、アルクのほぼ公式問題集では「3回繰り返しメソッド」という方法でやるとよいと書かれていたので、その方法で問題を繰り返し解くのを並行(立ち読みすればいいと思います)。解説を読んで、問題文などを声に出して、一つ一つ理解する作業を続けていました。案外声に出すって覚えるもんだなと思います。結構バカにできないです。

パートで区切ってしまうと、抜ける(弱点となる)単元が出てくるため、全部入りの問題集が自分には合っていたのかと思います。

リスニングもリーディングも、特に比重を設けずに臨みました。

前日にはアルクのサイトから入手したおまけ問題集で、本番と同じようにテスト。

 

工業英検2級

実際の試験と同じ環境で入手した問題集を解きました。辞書を引きながら和訳、英訳、レトリック。一応テスト対策本があるけれど、前回、前々回とあまり役に立たないし時間もなかったので過去問だけに注力しました。

和訳はもとの文章自体こなれているせいか、割と簡単です。

英訳はやらないと慣れないので、骨が折れました。仕事の延長ではあったのですが、やっぱり時間も区切られているので、それなりに難しい。

レトリックとは、2つの文章を1つにまとめる問題、不要な語句を取り除いてリライトする問題の2つがあります。

レトリックの配点がかなり高い(80/200点)ので、注力しました。コツがいくつかある(and/but/thatでつなぐときのルールとか)ので、それを数年分やって確認しながら。

 

試験日が土日で固まっていたのが、いい点だったように思います。日曜日に両方とも終わり、ぷしっとビールで乾杯。とはいいつつも、「どーなんだーどーなんだーどなーどなー」 と呪いの言葉を吐きながら。結果が来るまで怖い毎日を過ごしていたので…。

 

 おわりに

月並みなしめくくりかもしれませんが、毎日続けないと、英語力って落ちますね。一日がんばればいいっていうものではなく、細く長く続けないとなって思います。

それと教材選びって重要なんだなと思います。工業英検のテキストは前回、前々回で使っていましたが、解説がないため、結局それほど役に立ちませんでした。過去問にしてもやっぱり解説はなかったので、いらいらはそうとう募りました。

 

TOEICはDUO+公式問題集のセットである程度(750程度)は攻略できるんじゃないかと思います。ただ、今回のスコア、760点では、楽天にすら入れないんですね(楽天は800以上がMUST)。これからどうやって得点をあげていくかが悩ましいところです。といっても、結局公式問題集と単語帳を更新するだけだとは思うんですが。

 

英会話は色々なところでできるからいいとして、ライティングって教えてもらえる機会が少ないんですよね。仕事でやっていましたが、きちっと教えてくれるでもなく、人の書いたものを借りて自分の知識をつけるというやり方でした。

物見遊山の人、オーバースペックの人から色々教わるべし。(職業訓練初日の思い出)

 英語の職業訓練に通っていたころの思い出(初日)。下書きにあったのをアップします。

 英語をパワーアップするのが主目的ではなく、通っていた理由はSAD(社交不安障害)を克服するのが第一なんです。SADとは、あがり症のひどいものととらえてもらえると分かりやすいかもしれません。パニックに陥ると、私の場合は口も回らなければ何も頭に入らない。必死でメモをとりながらそのメモも怪しい。結局落ち着いてから再度聞き直してなどかなり厄介な病気といえば病気です(それで前職はやめてしまったんだし)。英語もブラッシュアップしなおせば、自分の販売できる商品になるんだし。リスタートの初日。

 初日ということで、来ました。

 

 30人を前にしての「自己紹介」

 事前にメモをしておいて、それを読めばいいやと思っていたのですが、メモすら読めない。やばいやばいと最低限のことだけ何とか伝えて、終わりました。自分が何を言ったのかすら、いまだに思い出せません。頭がはじけそうになり、支離滅裂が続く…。

 悠々と話す方々を前に来る、後悔。早速つまづきましたが、もうそんなことよりほかの方々を見ることに集中しました。

 やっぱりといった感じですが、明らかにオーバースペックな方がいらっしゃいます。私は前職は下級ライター/翻訳者だったので、一切英会話ができません(読み書きはだいぶできるようになりましたが、それすらも怪しい)。TRADOSで翻訳をぶんまわすことしかしてないし。英語というにはおこがましいほど、英語を知らない。未だに前置詞は不安定ですし。

 留学経験のある方(フィリピンが人気でした。滞在費が安いからでしょうかね)、海外で仕事してきた方、ほかの道で何かを極めて、何となく物見遊山の方、色々勉強になりそう。

 

 精神的な安定はもっと色々こなして、自信がでてから得られるはずだ!と思いつつ、明日のテキストを予習しなきゃ。

連絡手段のプロトコル

 今日もぼんやりと考えてみました。

 

 「連絡するよ!」って言ったときに手段がわからないと、実にあいまいなものになるのだなとぼんやり。

 

 今の今思いつく連絡方法を列挙してみます。

・郵便

・電話

・のろし

・手旗信号

・電報

・ファクス

・e-mail (最近は誰もが複数アドレス持っているので、どれにと決めないといけない)

・携帯のショートメッセージ

Skype

・LINE

Facebook Messenger(Facebookを辞められない理由はこれにあります)

TwitterのDM

カカオトーク

・ポケベル → サービス終了しているはず

・etc, etcまだまだあるはず

 

 スマートフォンに依拠したものであれ、アナログに依拠したものであれ、お互いにどのやり方で連絡するのか分からないと困るなって話ですが、リストしてみるとこんなにあるんだなと。お互いのプロトコルを合わせないと通信ができないんだな、これだけ色々あるんだから。3wayハンドシェイクは人間もやらないとならない作業なんですね。

 電報なんかもう結婚式でしか出てこない通信手段だし、廃れていくサービスもあるはずで、今後のデファクトが何になるのか、ぼんやり考えるには(ぼんやり話してみるネタとしては)、ちょうどいい話なのかなと思います。ポケベル使ってた世代としては、あーいうのあったねーと。

 個人的にはLINEグループでのトークが面倒だなと。距離をいかに図ってメッセージを飛ばすかとか、悩むのって結構時間の無駄で、悩ましくて。

 書き終わって、今更ながら、文通とかしてみたいなとアナログなぼやぼやは思います。メル友でもいいや。

自治体とYモバイルのホームページ…。

 時々図書館に行ったり、区営のジムに行ったりと割と公共のものを使います。

 図書館ではイベントが盛んで、古い映画の上映会や短歌賞、子供への読み聞かせなど色々なことをしています。最近はTOEICの勉強をしているので、毎週のように通っています。

 ジムでは幽霊会員の自動引き落とし3か月といったあまり嬉しくないことをやってしまい、それ以降400円で泳げる手軽さから区営のジム通いに変更しました。仲間体型の人たちが案外多くてほっとします。ただ、不意に休みになる時があるんだ…。そうした時は隣の区の施設に切り替えたりしていますが、行ってみるまでぼんやりぼやりんして「OI」となることが多々。当たり前だけど学習しました。○とか×とか。そしたら今度は、「団体使用」とジムの謎のご宣託。結局入れなかったんだけどね。いい加減わかんないよー。

 

 Yモバイルでルーターを借りてしまった情弱野郎は、ルーターの使用料を知りたいのだけど、ホームページをぐるんぐるんたらい回しにされます。何ギガ使ったのか知りたいだけなのに、ログインしろ、しました、このページを見ろ、見ました、こっちかどっちか選択しろ、こっちもあっちも見ました、このページだろう、いや違いましたけど。何年プラン、いい加減解約したいんですけど。iphone5sに刺せるSIMを1枚くれればいいだけなんです。だめっすか。

 

 こういうことにイラッと来たので、区の施設についてGoogleカレンダーを作ってみました。同じようにイラッとしている人に少しでも周知できればいいのだけど。

 ただ、公開方法がよくわからないゆえ、調べたのちに何かアクションします。ブログに張り付けるんじゃなく、サイトでも作ったほうがいいのか検討中。

 

 Yモバイルについては、もう知りません。諦めが肝心な時って、人生何度もありますよね。ルーターは年単位の契約にするんじゃなく、買ってからSIMカードだけを借りるといったやりかたが、一番賢いのかと。ルーターのSIMが他のスマホに入ればいいのでしょうけど、成功例を聞いたことはありません。